いま世界の哲学者が考えていること第一節 メモと感想

ここでは第1節「ポストモダン以後、哲学はどこへ向かうのか」から数カ所引用する。

 

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哲学の世界を考えるとき、1960年代ごろまでは、およそ3つに分類されていた。

マルクス主義実存主義分析哲学である。

 

マルクス主義マルクスエンゲルスによって展開された思想ベースの社会主義思想

実存主義:人間は本質に先立つ

分析哲学:20世紀に英語圏で主流になった哲学のスタイル。記号論理、概念分析、数学や自然科学の哲学などをテーマとすることが多い

 

この三潮流は、その後大きく変容する。フランスの実存主義は影響力を失い、その流行を現象学構造主義に譲った。この流れは70年代のポスト構造主義に引き継がれる。

 

マルクス主義社会主義体制の歴史的な崩壊と相前後するように哲学としても影響力を失った。それに変わってドイツで勢力を広げたのがフランクフルト学派や解釈学。

 

フランクフルト学派:フランクフルト大学の社会研究所を中心に活動した思想グループで、1920年代に設立された。マルクス主義ヘーゲル弁証法フロイト精神分析理論の融合を試みた。

解釈学:テクスト解釈の方法と理論を扱う学問。ディルタイやガダマーによって発展した。

 

分析哲学は内実を変容させながらも現代哲学の中心的な勢力を保っている。

 

 さらに大きな流れとしてあったのが「言語論的転回」

リチャード・ローティの「言語論的転回」は19世紀末から20世紀初頭にかけて哲学上引き起こされた転換。

哲学の諸問題は言語を改革することによって、あるいはわれわれが現在使っている言語をよりいっそう理解することによって、解決ないし解消しうるという見解

 

ローティによれば分析哲学の成立・転回を示しているが、一般的な用法としてはこれに留まらない。例えばソシュールヤコブソンの言語学に影響された構造主義や、それ以後のポスト構造主義、ガダマーの解釈学、ハーバマスのコミュニケーション理論も言語学的転回のうちに算入される。

それ以前については「認識論(知識論)的転回」と呼ばれる。近代哲学はデカルトの大陸系号理論と、ロックやヒュームからのイギリス経験論に分けられる。

デカルト:17世紀のフランス哲学者。数学者。合理主義哲学の祖。

イギリス経験論:人間のすべての知識は経験に由来すると考える立場。ロックに始まりヒュームによって理論的に展開した。

 

これらはいずれも主観と客観の関係に基づいた「意識」の分析に集中する。

 

1970年代以降はポストモダン思想が流行した。

ジャン・フランソワ・リオタール「大きな物語に対する不信」『ポスト・モダンの条件』(1979)

リオタールの提唱したのが「言語ゲーム

言語論的展開の中での言語構築主義と呼ばれる立場(デリダ「テキストの外には何もない」)を踏襲、さらに「異なる言語ゲームは共約不可能である」と考える。すなわち、ポストモダンは他の立場との差異を強調し、ついにはいずれの主張も優劣が付けられないという相対主義へ到る。

 

①言語構築主義と②相対主義を提唱したのがローティ。

『言語論的転回』『哲学と自然の鏡』(1979)『プラグマティズムの帰結』(1982)

 

この二つの主張は現在、文化全般にまで浸透している。その典型が分化相対主義や歴史相対主義。分化や歴史が異なれば真理や善悪の判断が違ってくる。学問的には「社会構築主義」という立場が提唱されている。

20世紀の後半のポストモダンの流行により、極端な場合には自然科学的な事柄に関してさえ、多様な解釈があるだけであって、どの説が正しいのかは決定できない、と言われることもあった。ポストモダン構築主義相対主義を強く批判した一人がポール・ボゴジアン。

『知識への恐怖:相対主義構築主義に抗して』(2006)

最近20年以上-自然科学ではないとしても、人文科学と社会科学においては-人間の知識の本性に関する、あるテーゼをめぐって、際立ったコンセンサスが形成されてきた。それは、知識が社会的に構築されたものだ、というテーゼである。社会的構築という術後は比較的最近のものではあるが、根底にある考えは、心と現実との関係に関する長い間の問題にかかわっている。

 

このようなポストモダンの以後、「言語論的転回」に代わる新しい思考が模索されるようになる。

(1)自然主義的転回

アメリカで最も活発な活動を転回しているジョン・サール

『マインド 心の哲学』(2004)

20世紀の大部分においては言語の哲学が「第一哲学」であった。哲学の他の分野は言語哲学から派生し、それらの解決も言語哲学の帰結に依存するものとみなされた。しかし、注目の的はいまや言語から心に移った。いまや心が哲学の中心トピックであり、他の問題-言葉や意味の本性、社会の本性、知識の本性-はすべて、人間の心の性質という、より一般的な問題の特殊例にすぎないと考えておこう。

心の哲学」と言っても方法論は様々に考えられる。認知科学脳科学情報科学生命科学などの成果を取り込んで理論化するのは間違いなく、この傾向はそのために「自然主義的転回」と呼ばれることもある。

 

(2)メディア・技術論的転回

ダニエル・ブーニューはレジス・ドブレとともに「メディオロジー」という学問を提唱している。

『コミュニケーション学講義』2010

記号論的-言語論的転回の後に、それを修正して言用論的転回が続くのだが、その後でメディオロジー的転回がこの二つの間で、発話行為の因子と意味をなすことの条件とを結びつけ、補完する役目を果たします。

つまり「言語論的転回」から「メディオロジー的転回」への流れである。メディオロジーとはコミュニケーションが行われるときの物質的・技術的な媒体を問題にする学問である。

 

(3)実在論的転回

フランス、ドイツ、イタリアでは「思弁的実在論」や「新実在論」と呼ばれる潮流が体動し始めている。

2011年に「思弁的実在 大陸の唯物論実在論」が編集されているが、どこへ向かうのかははっきりしていない。構築主義とは違い「思考」から独立した「存在」を問題にするのは間違いなさそうだ。

 

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜以下感想〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

この中でポパーが一度も出てこない。なぜだ。

ポパーはあまりに哲学者の中で嫌われている。しかしどうだろう、メイヤスーの相関主義批判と、理由律の暫定的な受け入れとは、まさしくポパー反証主義へすぐに収束するのではないだろうか。

自分には、ポストモダン哲学後の潮流は、いずれも自然科学へ、それはまさしくポパー、へ収束しているように見える。